GoRoPaPaのブログ

約2年以上も休んでましたです、が、その間色々病気を発症しまして、ようやくまたブログを再開しようとおもうに至りました、ブログタイトルも変えてボチボチ思うところを書き込もうと思てます2019.3/3

ジョン・レノンの事

昨日ポール・マッカートニーの記事を書いたけど

俺の一番大好きなアーティストは、

ジョン・レノンとオーティスレディング!

ふたりとも若くして死んじゃいました

ジョン・レノンは暴漢に撃たれ、オーティスレディングは

飛行機事故、、、、

ジョン・レノン

 

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1960年代に伝説的な成功を収めたロックバンド、ザ・ビートルズを立ち上げたリーダーとして知られる。ポール・マッカートニーと「レノン=マッカートニー」としてソングライティングチームを組み、大半の楽曲を製作し、メイン・ボーカルを務めた。1970年ビートルズ解散後はアメリカを主な活動拠点とし、ソロとして、また芸術家オノ・ヨーコと共に平和運動家としても活動した。1975年から約5年間音楽活動を休止した後、1980年12月8日23時頃(米国東部時間)にニューヨークの自宅アパートダコタ・ハウス」前においてファンを名乗る男性により銃で撃たれ亡くなった。

ローリング・ストーン誌の選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー」において第5位。同誌の「歴史上最も偉大な100組のアーティスト」において第38位、「歴史上最も偉大な100人のギタリスト」において第55位。「Q誌の選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー」において第5位[1]

ビートルズとしても、またソロシンガーとしても音楽界に多大な功績を残し、死後も絶大な影響を与え続けている。(引用- ジョン・レノン - Wikipedia

 

John Lennon Jealous Guy (Official Music Video)

 

 

オーティスレディング

 

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1960年代初頭にジョニー・ジェンキンズのパイントッパーズで音楽活動を始め、ソロ・シンガーとして契約後1962年に「These Arms of Mine」を発表(R&Bのチャートで最高位20位、Billboard Hot 100で85位[3]と人気を博す)、この歌をきっかけに1964年スタックス傘下のヴォルトからアルバム『Pain in My Heart』を発表、アメリカ国内でアトランティック・レコードのもとで全国流通を果たす。同年、ブッカー・T&ザ・MG'sスティーヴ・クロッパーと共同制作した「Mr. Pitiful」は、R&Bシングル・チャートで最高位10位、Billboard Hot 100で41位となるヒットとなった[3]。生前のシングルレコードで最も評判を呼んだのは、ジェリー・バトラーとの「I've Been Loving You Too Long」で、R&Bのシングル・チャートで2位[3]を記録して彼のキャリアの中で最も高い評価を得る作品となり、続く「Respect」(後にアレサ・フランクリンによるカヴァーが大ヒットする)はR&Bチャートで4位を記録した[3]。その後、「I Can't Turn You Loose」、「(I Can't Get No) Satisfaction」(ローリング・ストーンズカバー)といった曲がヒットして、古いラブ・ソングをリサイクルした「Try a Little Tenderness」は、1966年の代表曲となった。そして、1967年モントレー・ポップ・フェスティバルに出演して評価を得た。このフェスティヴァル出演後、喉の異変を訴え、ポリープが見つかり医者から2ヶ月間歌う事を禁じられ、後の曲調の変化に大きな影響を与えた。(引用-オーティス・レディング - Wikipedia

Otis Redding Live at the Monterey 1967

 

ふたりは俺の多感な青春時代の頃のまだCDもDVD ビデオのなかった時代に

いつもレコードから流れる彼らの歌声を、まるで栄養ドリンクをがぶ飲みするように

聞いてたよ

 

稀代のエンターテナー オーティス・レディング

詩人でロックンローラー ジョン・レノン

あなたたちは永遠です