ジョン・レノンの事
昨日ポール・マッカートニーの記事を書いたけど
俺の一番大好きなアーティストは、
ジョン・レノンとオーティスレディング!
ふたりとも若くして死んじゃいました
ジョン・レノンは暴漢に撃たれ、オーティスレディングは
飛行機事故、、、、
1960年代に伝説的な成功を収めたロックバンド、ザ・ビートルズを立ち上げたリーダーとして知られる。ポール・マッカートニーと「レノン=マッカートニー」としてソングライティングチームを組み、大半の楽曲を製作し、メイン・ボーカルを務めた。1970年のビートルズ解散後はアメリカを主な活動拠点とし、ソロとして、また妻で芸術家のオノ・ヨーコと共に平和運動家としても活動した。1975年から約5年間音楽活動を休止した後、1980年12月8日23時頃(米国東部時間)にニューヨークの自宅アパート「ダコタ・ハウス」前においてファンを名乗る男性により銃で撃たれ亡くなった。
「ローリング・ストーン誌の選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー」において第5位。同誌の「歴史上最も偉大な100組のアーティスト」において第38位、「歴史上最も偉大な100人のギタリスト」において第55位。「Q誌の選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー」において第5位[1]。
ビートルズとしても、またソロシンガーとしても音楽界に多大な功績を残し、死後も絶大な影響を与え続けている。(引用- ジョン・レノン - Wikipedia)
John Lennon Jealous Guy (Official Music Video)
オーティスレディング
1960年代初頭にジョニー・ジェンキンズのパイントッパーズで音楽活動を始め、ソロ・シンガーとして契約後1962年に「These Arms of Mine」を発表(R&Bのチャートで最高位20位、Billboard Hot 100で85位[3]と人気を博す)、この歌をきっかけに1964年スタックス傘下のヴォルトからアルバム『Pain in My Heart』を発表、アメリカ国内でアトランティック・レコードのもとで全国流通を果たす。同年、ブッカー・T&ザ・MG'sのスティーヴ・クロッパーと共同制作した「Mr. Pitiful」は、R&Bシングル・チャートで最高位10位、Billboard Hot 100で41位となるヒットとなった[3]。生前のシングルレコードで最も評判を呼んだのは、ジェリー・バトラーとの「I've Been Loving You Too Long」で、R&Bのシングル・チャートで2位[3]を記録して彼のキャリアの中で最も高い評価を得る作品となり、続く「Respect」(後にアレサ・フランクリンによるカヴァーが大ヒットする)はR&Bチャートで4位を記録した[3]。その後、「I Can't Turn You Loose」、「(I Can't Get No) Satisfaction」(ローリング・ストーンズのカバー)といった曲がヒットして、古いラブ・ソングをリサイクルした「Try a Little Tenderness」は、1966年の代表曲となった。そして、1967年のモントレー・ポップ・フェスティバルに出演して評価を得た。このフェスティヴァル出演後、喉の異変を訴え、ポリープが見つかり医者から2ヶ月間歌う事を禁じられ、後の曲調の変化に大きな影響を与えた。(引用-オーティス・レディング - Wikipedia)
Otis Redding Live at the Monterey 1967
ふたりは俺の多感な青春時代の頃のまだCDもDVD ビデオのなかった時代に
いつもレコードから流れる彼らの歌声を、まるで栄養ドリンクをがぶ飲みするように
聞いてたよ
稀代のエンターテナー オーティス・レディング
あなたたちは永遠です